Journey in U.S.A

随時更新予定


No.20「英語恥ずかし物語〜アイダホ州編〜」

英語ってのは難しい...私も「初めての英語」で恥ずかしい経験を何度もしています。 その中でも思い出深いエピソードを少し上げてみましょう。

1.初めてのカフェテリア(食堂のことね)
カフェテリアってのは基本的にビュッフェ形式が一般的なのですが、ここでマッシュポテトを 貰うとき必ず聞かれるのが「リルビ」って言葉!リルビ??なんだリルビって?ワラビーの一種か? わかなんないから、とりあえずお決まりの必殺「イエスッ戦法」! 結果は...お皿にのったほんのチョビっとのマッシュポテト... ゲゲッ「ちょっとだけ」って意味だったのね(笑)その後、友達にスペル聞いたら「a little bit」... う〜ん納得!

2.初めてのドライブスルー(バーガーキング)
英会話、最大の難所と呼ばれるドライブスルー!初挑戦したその日の目標は... 「オレンジジュースを注文する!」でした。スピーカーの前で「Orange juice please!」と 言ったら店員はあっけなく「オッケ〜」!おっ?なんだ意外と簡単だったなあ〜! 品を頂いて早速、飲んでみると中身は....コーラじゃねえか!どこがオッケーなんだ? どうしたらオレンジジュースがコーク(コーラのこと)に聞こえるんだ?ちなみにコークを注文して アイスティーがでてきたこともありました(笑)


No.19「引越し経験12回 in U.S.A」

アメリカ滞在6年半...実に様々なところに住み、気が付けばその回数は実に12回! われながら、よくやったもんです。以下がその全貌!!

●Idaho州の大学寮(Idaho州)。引越しした初日の夜に同じ寮に住むアメリカ人が窓から入ってきた... 殺されるかと思った...(笑)
●大金持ちのホストファミリー(Idaho州)。毎日、高級アメリカンディナーだった。
●友人宅へ居候(Idaho州)。毎日、友人が女を連れ込み、夜な夜なゴソゴソ...気が付かないフリをするのに一苦労(笑)
●庶民派ホストファミリー(Idaho州)。ホストファミリーの娘を学校へ迎えに行くのが俺の仕事だった。
●木造の古アパート(Idaho州)。田舎町とはいえ、その街一番の危険地帯だったらしい(当時は知らなかったが(笑))。
●下宿(Washington州)。一人暮しのお婆さんの家に下宿。冷蔵庫にはいつも食パンと玉子しか入ってなかった。
●天井極高アパート(Washington州)。いっぱい、部屋があったけど一部屋しか使わなかった。ルームメイトと険悪に...「他人と住むことは難しい...」と実感
●ボロ&安アパート(Washigton州)。家賃が極安の100ドル(当時で1万円くらい)。天井が身長よりも低かった。最後は下水が部屋にシミ出してきて、不本意ながら他の場所へ引越し。
●初の快適アパート(Washigton州)。2LDKにもかかわらず、アパート代は300ドル(当時で3万円くらい)。毎日、飲み会で近隣住人からの苦情多数発生!よく追い出されなかったなあ..(笑)
●大学寮(Boston)。イタリア人がルームメイト。風呂に入らない奴だった。
●極狭いアパート(Boston)。部屋に入る時、自分の体をネジ曲げながらじゃないと入れないところだった。
●広〜いアパート(Boston)。両隣り共にバークリー音楽院の学生。ギターをアンプで鳴らしてもドラムを叩いても文句一つ言われなかった。お互いさまだからね(笑)

と、まあ...こんな感じでした。今思えば、いい思い出ばかりです。


No.18「世界のマエストロ!」

世界で有名な日本人と言えば、映画の巨匠「黒澤明」、ジョンレノンの妻「ヨーコ・オノ」そして.... この人を忘れてはいけない、世界のマエストロ「小澤征爾」!ここからは自慢話です(笑) 私がまだボストンで学生だった頃、道を歩いていたら高級リムジンが信号で止まりました。 「こんな車に乗れるのはどんな人なんだろう?」と遠目に車の中を覗いたらなんと中にいたのは ボストンシンフォニー常任音楽監督「小澤征爾」!「おお〜(驚)カッコイイ〜!」 それから信号が変わるまでの数分間ストーカーのように車の中を覗き続ける危ない貧乏学生の私に...なんと...マエストロ「小澤征爾」は満身の笑顔で手を振ってくれたのです。「世界一の幸せ者だ〜俺は〜!」 ボストンには小澤征爾伝説が数多くあります!有名なのは...「寿司屋で全員にサインしちゃった事件!」。 とにかく人柄が極端に良い小澤征爾はサインを断らないそうです(某ボストン在住寿司職人談)。 ある日、寿司屋で一人のファンにサインをしたらそのまま大行列ができてしまい、 しかも並んだ全員にサインして帰っていったという話です。凄すぎ〜!スケールが違います! まさに世界のマエストロ!それが自分と同じ日本人だなんて感激....まさに日本の誇りです!


No.17「アメリカ学生生活、最初の宿題!」

今思うとアメリカって国はホントに海外から来る学生に対して真剣であり、親切であり、愛を持って 接してくれます。そんな夢の国に私が学生として行って最初にでた宿題は....

先生:「さあ、みんな!ここにいろんな品物のカタログがあるだろ〜!!好きなやつ選べ〜!」
小生:「はあ??まあ、そんじゃこの「パソコン」にしよっと...」
先生:「よ〜し、みんな選んだか〜!それが今日の宿題だ〜!となりに電話番号載ってるだろ!全員、 そこに電話して、それの値段と、どんなサービス特典があるか?を聞いてレポート提出しろ!」
小生:「え〜???おいおい、ロクすっぽ英語で挨拶もできないのに電話して聞くのかよ〜!」

「電話で聞く...」それだけ考えれば簡単なことのように見えますが、渡米して一週間目の私にとってはあまりに衝撃的な最初の宿題でした...


No.16「アメリカの刑務所」

Journey in USAで幾度か登場してきた私の住んでいた田舎町「ワシントン州 Walla Walla」。この町にはアメリカの凶悪犯が集まる有名な刑務所があります。私、なんとこの刑務所に入ったことがあるんです。いやいや、別に捕まったわけじゃないですよ(笑)大学の社会見学で行ったんです。アメリカの刑務所の中を見た経験のある人って少ないでしょう(日本の刑務所の中を見た人もそんなにいないか(笑))。意外と自由な感じで、芝生なんか綺麗だし、服役中の囚人の髪型もロン毛だったり!監獄にはテレビもあって、憩いの場みたいなテラスまでありました。さて、社会見学ということで、なんと服役中の方と学生が話をする場がその時、もうけられたのです(これも凄いことだと思いますが...)。そこでの囚人AさんとBさんの爆笑話を簡単に紹介しましょう。

「Aさんの話」

Aさん:「いや〜刑務所入ってずいぶん長いんだけど、職業訓練とかで大学の単位が刑務所でも取得できるんだよね〜。俺なんか大学卒業の単位を取得したし、理容師の免許なんかも刑務所で取得したよ。凄いだろ〜!もういつ外に出ても大丈夫だぜ〜」
学生:「刑期はどのくらいなんですか?」
Aさん:「懲役123年くらいかな!笑っちゃうだろ!(爆笑)」

「Bさんの話」

Bさん:「俺は刑務所に入った時の刑期は3年くらいだったんだけど、脱獄の常習犯で何十回と逃げたから結局もう10年近くここに入ってるよ。でも今の俺は模範囚だからもうすぐ出れるんだ。ワイフと娘に早く会いたいよ!」
学生:「娘さんは、おいくつなんですか?」
Bさん:「娘は今、2才だよ!」
学生:「10年間、刑務所にいるんですよね?なのに、娘さんは2才?」
Bさん:「言ったろ!俺は脱獄の常習犯だって!(曝笑)」

No.15「恐怖のバッティングセンター」

 私はこう見えてもスポーツ関係は結構できるほうなんです。サッカーでもテニスでも、アメリカ人に混じってやっても日本人だから「体が小さい、パワー不足」などの理由で負けるようなことはありませんでした(たしかに一部そんなこともありますがテクが格段に上ですから(笑))
 そんなわけで野球もそこそこできる私ですが、ワシントン州の小さな街にバッティングセンターがありストレス発散でよく行ってました。このバッティングセンターは、日本とは決定的に違うんです。
なんと.....

「デッドボール!!」

があるんですよ〜! ノーコンなバッティングセンターに行った経験がある人はそういないでしょう!
メジャーリーグがスゴイ理由が 少しわかるような気がしますね......(笑)

No.14「アメリカ「数学」教育事情」

 ここを見てくれているみなさんの中にもこの病気を抱えている人.....きっといると思います。「数学恐怖症症候群」!一般的な発病時期は、12〜15才中学生あたりの思春期の頃。進学するにつれ症状が悪化し、 18才くらいで取り返しはつかなくなり、以後、慢性的にこの病気を抱え一生を生きていかなければならない、まことに恐ろしい病気です。アメリカの大学でも一般教養で数学のクラスを取らなければいけませんが、この病気を抱える私としては、恐怖の何ものでもありませんでした。「あ〜どうしよう.....」いつもため息の毎日。しかし、この病気!日本人だけじゃなく、全世界共通の病気だったのです(笑)!クラスを見渡せば、みんなため息....「そっか!みんな辛いんだなあ〜」....。ちなみに数学の中でももっともヤバイのが「関数」!方程式使って、曲線のグラフ書いて....って、全然わからん。しかし、この辺はさすが、アメリカ!合理主義というか、楽観主義というか、「関数」の意味や内容は全然教えないで、「関数」のグラフと式が同時に表示される専用の「関数計算機」の使い方だけを教える授業なのです。よってみんな関数のことなんか全然わからないんだけど、答えだけは正解というなんとも滑稽な光景になるのです。これが良いか?悪いか?なんてことを論議するのは、ナンセンス!とりあえず、数学恐怖症症候群の人にとっては日本よりアメリカの方が過ごしやすいかもね.....(笑)


No.13 「アメリカで出会った恩師は日本人」

アメリカでの私のギターの師匠は日本人です。えっ?日系アメリカ人かって?いえいえ、京都出身バリバリの日本人!えっ?英語しか話せない在米の日本人かって?いえいえ、コテコテの京都弁と英語の両方できる日本人!そうです。楽器屋いって教則ビデオのコーナーにいくとズラッと並んでるあの人!スーパーギタリスト「トモ藤田」です。そもそもなんでアメリカまで行って日本人の師匠?って思うでしょ。
普通はこんな考えなんです。
「アメリカに来たんだから本場アメリカの技を学ぶためにはアメリカ人の先生を師事しよう!」.....でもね......その人の英語を完璧に理解できる?
当時の私の考えはこんなでした。
「アメリカに来たんだから本場アメリカの技を学ぶためにその技をリアルタイムで持っている日本人の先生を師事しよう!」.....だって.....その人の日本語なら100%理解できるでしょ。
バークリー音楽院に入学する前に、3年程アメリカの短期大学にいたんです。そこで「英語が完璧に理解できないがために学び取れなかった知識っていうのがある」ということをを嫌というほど体験したんです。この発想ってそんな体験からきてるんですよねえ。
「発想の転換」って言うけどアメリカに長期滞在したがための独自の発想ってありますよねえ。


No.12 「外国人なめんなよお〜!」

 最初に断っておかないといけないですね。アメリカ国内で「外国人」になるのはアメリカ人以外の人々!つまり日本人はアメリカでは「外国人」なわけです。さて本題に戻しまして、アメリカ生活の中で私も過去なんどもアメリカ人と論争を繰り広げてまいりました。そんな中の「なめんなよストーリー」をひとつ!ある日、電力会社と私であきらかに間違った請求書について論争になりました。最初は私も紳士的につたないながらも一生懸命な英語で話していましたが、相手のアメリカ人は典型的な手を上にかざしての「What?」の連発!頭っにきた私は机を叩いて「Hey you!!!!」と一言!!その後、同じ内容のことを話したら今度は素直に応対.....
「なんだよ。俺の英語わかってんじゃねえか!」
「日本人はみんな弱腰だと思ったら大間違いだぜ!」
異国で強く生きることはもっとも大切なことだと思います。もちろん日本に住む外国人もいっしょ!!外国人のみなさんへ心からエールを送ります!「ガンバレ!」


No.11 「何が違えばルールも違う.....」

 世の中、国によって宗教によって人種によってその他いろいろな要素によってルールってのは違うもんです。みじかに感じるアメリカだってそりゃもうたくさんの違いがあります。アメリカでは、タバコは18才から、お酒は21才から、車の免許は16才から......日本とはだいぶ違います。今だから話せる私の経験では......19才の冬日本に帰国した時、ポケットにタバコを持っていて税関の人にしっかり怒られてしまいました。そうです!日本では喫煙は20才から.....でもこれってアメリカでは合法なんですよね..... 逆に20才の時、アメリカで酒を飲んでて警察の御厄介になったことも何度かあります.....でもこれって日本では合法なんですよね...... 国、宗教、人種それぞれの考え方があるんだからルールだってそれぞれ違うのは当たり前!ルールって正義か?悪か?というよりも、幸せに暮すための手段のような気がします。みんな幸せになりたいんだから他国、他宗教、他人種のルールを押し付けられるのは気分が悪い....どれだけそれを受け入れて上げられるかが、人の優しさのような気がします.....


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