Journey in U.S.A

随時更新予定


No.10 「幻となったアメリカでのデビュー.....」

 ワシントン州の田舎町のバーでよく飛び入りでギターを弾いていた頃の話。ある日の夜、いつものごとくギターを弾き終わって、カウンターで飲みなおしていると、あきらかに怪しげなロックな風貌のおじさんが声をかけてきました。「お前のギターってマジでCOOL!だぜえ!どうだい!俺んところ来ないか?」と言って名刺をくれました。なんとまあビックリ!そのおじさんは同じワシントン州のスポケーンという都市で音楽プロダクションをやっている方。その頃の私はまだ学生だったので、「ごめんなさい、行けません....」と断ってしまいました。今思えばあの時、いっしょに行っていれば、仮に泣かず飛ばずとも憧れのアメリカデビューが実現していたのかもしれません。しかし一方で、もし行っていたらバークリー音大には行ってなかっただろうし、日本であの伝説のミュージシャンに拾われることもなかったのです。やっぱり人って「なるようにしかならない!」ですね。自然に生きていれば、幸運はちゃんと順番に巡ってくるようになっているんでしょう....そう信じたいものです....

 

No.9「星降る夜空.....」

 私がアメリカで住んだ最初の街、アイダホ州ルイストン...ここには、LEWSITON Hill(ルイストンの丘) という大パノラマの見える場所がありました。そこまで行くハイウェイは果てしなく広く、丘から見えるスネークリバー(スネーク川)はまるで海のように大きく、見渡せば向こう側が霞むほどの大地が一面に、そして見上げると空をうめつくすほどの星の数々が......全てが広く、大きなアメリカがそこにありました。時には好きになった彼女と、時には親友と、時には一人で.....あの丘で抱いた広く、大きな夢や希望を忘れずに歩き続けたいものです。


No.8「無国籍友人論....」

 アメリカでの7年間の生活を振り返ると、私はアメリカという異国の地でたくさんの母国「日本」の親友と呼べる仲間と出会いました。昨今、たくさんの留学雑誌、旅行ガイドブックが出ていますが、決まり文句のように書いてあるのが....「日本人ばかりであまり良い環境とは.....」みたいなこと。私には永遠に理解できない言葉です。なぜって?どこで出会おうが、どこの国の人間だろうが、そいつが共に夢を語り合い、助け合える人間なら、私の仲間なんです。アメリカ人だって韓国人だって中国人だってヨーロッパ諸国の人だってその他のたくさんの国の人だって、そして日本人だって.....みんないっしょ。私にとって仲間は大切な宝なんです。

「アメリカで出会った日本の仲間達」

アメリカで出会った偉大な才能!脚本家「我孫子令」

アメリカ貧乏生活を共に助け合った親友A氏。通称「ラガー」


No.7「テーブルいっぱいのビール....」

 21〜23歳くらい?にかけて私がよく通っていたロック&ブルースバーがありました。その名は「Red Apple」!後で聞いた話だと、地元では結構有名な近づいてはいけない危ない場所だったらしいのですが、私にとっては数々の貴重な出会いや体験が出来た思い出の場所でした。ある日の晩、その店のHOUSE BANDのリーダーが「ジャムセッションするから誰かステージに上がれよ!」と言うので、私がギター片手にステージに上がりました。セッション曲はレッドツェッペリンの「Rock'n Roll」!曲がギターソロに差し掛かったところで、私の脳裏に浮かんだのは「誰も思い付かないようなおもしろいソロを弾いてやろう!」でした。普通ならロックブルースソロを弾くところなんですが、私が弾いたのは!インド音階を駆使した超オリエンタルなギターソロ!もう拍手喝采で嵐のような盛り上がりでした。曲を弾き終えてテーブルに戻ると.... 飲んだくれのオヤジ、超ド派手なお姉さん、ごっついオカマさんなど、たくさんのお客が次々とビールを私におごってくれて、気が付けば一人では飲み切れない程のビールがテーブルいっぱいに!その後は当然ながらみんなで歌えや騒げやの大飲み会!人種なんか関係なくみんなで純粋に音楽を共有できた貴重な思い出です。

P.S
 私が好きだったビールは「ICE HOUSE」という銘柄。アメリカ西海岸ならどこでも飲めると思います。アメリカへ行く時は是非、お試しあれ!(笑)

 

No.6「拝啓 Charles Brown様.......」

 前回、話しにでてきた私の住んでいたワラワラという町、本当にド田舎なんです。しかしこんな田舎町にも毎年、世界的な超一流ミュージシャンが一度だけやってきます。私が22歳になったその年、やって来てきたのがMr. Charles Brown。ブルースピアニスト、当時すでに73歳という高齢、あのB.B.キングと唯一肩を並べる伝説的な黒人ブルースミュージシャン。それまでの私といったら「ブルースってのは黒人の悲しみの歌...」なんて短絡的にわかったフリをしていたんですが、Charles Brownの生の歌声とピアノを聴いてからそんな浅はかな自分が恥ずかしくなってしまいました。彼の奏でる音は優しさに満ち満ちていて聴く者すべてに共感を与える音楽だったのです。ライブ終了後、楽屋で私が「ぼっぼくギター弾くんです!」と言って握手を求めると日本人である私にも分け隔てなく優しい瞳で握手をしてくれました。悲しみも屈辱もみな包容したあの「優しさ」、あの時ほんの少しだけどアメリカで本当のブルースがわかったような気がしました。そして今でも少しずつ.......


No.5 「アメリカ人の鬼先生.....」

 アメリカでの生活もようやく慣れ初め、英語学校からワシントン州のワラワラという田舎町にある短期大学に入学、ここで私はアメリカで最初の恩師と呼べる人に出会う!私に初めてジャズを教えてくれたT.S先生。これがもう.....すごいのなんのって!学校では泣く子も黙る鬼先生!音楽の授業中に「態度がデカイ」と言って身長2メートルは軽くある受講生のフットボール選手を退場させるは、学校では御法度な「F○○k」wordsは連発するは、質問に答えられない学生の頭を小突くは、とにかく「スパルタ反対、暴力反対」なんていうアメリカ人のスタンダード像が一気に吹き飛ぶ先生!私も例外なく、よく怒られたもんです、例えば!
 T.S先生「ヘイ!タケシ、♯が5つ付くとキーは何になる!」、私「えっと....」、すぐさまT.S先生「パチン、パチン、パチン!」(指を3回鳴らす音)、T.S先生「遅いっ!(怒)」、私「え〜」、そして頭を小突かれる。と、こんな感じで2年間ジャズを教えてもらったわけです。ところでなんでこれが良い先生なのかって?それは後にボストンに本格的に音楽の勉強をしに行った時、基礎で困らなかったから!人種や性分がどうであれ、心が込められたレッスンは本当に身につくと実感した2年間でした。
 そうそう、この学校では卒業式にT.S先生率いるジャズバンド(私が所属していたバンド)が毎年演奏するんだけど、私が卒業証書をもらうため壇上に上がった時、私が初めて作曲したブルースの曲を演奏して送り出してくれたのです。感動したなあ..........(涙)


No.4「天下のロックンローラーここにあり....」

 ボストンの日本食品店でアルバイトしてた時のお話。アジアの食べ物は健康に良いとアメリカ人の間でも広まり、私も生活費を稼ぐため、アメリカ人相手にレジ打ち、接客、仕入れなんてことをやっていたものです。ある日、このアルバイトしていた店にとんでもないお客が登場!なんと超スーパーロックバンド「エアロスミス」のヴォーカリスト「スティーブンタイラー」が来店!モデル並みの美女を二人、肩を抱き引き連れ、冷凍食品の入ったガラスケースの方へ!格好はお馴染みのスリムジーンズにド派手のTシャツ!背は意外にも私より低かった。(ちなみに私は173cm)狭い店だったのでその時いた店員は私だけ...サインを頂こうと「Are you Mr.Steven Taylar?」と聞くと、返答は店内中に聞こえる大きな声で「Oh! Yeah---!」あまりの派手さに圧倒されましたが、さすが天下のロックヴォーカリスト、これでは終わらない!お買い上げになったのは冷凍のタイヤキ2匹!その冷凍のタイヤキを支払い後、いきなりレジの前で口へパクリッ!そして美女2人とタイヤキをくわえて伝説のヴォーカリストは去っていったのです。たったの約10分間ぐらいの出来事でしたが、世界No.1のブッ飛びっぷりを満悦した一日でした。


No.3「好きになった女の子は外国人.......」

 どこの国にいても人並みにみな恋愛はするもので....私も当時好きになった女の子がいたわけです、が!好きになった彼女は外国人。もちろん言葉も違えば、文化も違う。それこそ食べ物の好みまでも国レベルで違う。でも人を好きになるって国は関係ないみたい。彼女を好きになったから彼女の持っているものも好きになっていく。彼女の国の言葉も少し覚えたし、彼女の国の食べ物も好きになった。そりゃ異国人同士ゆえに、ぶつかり合うこともあるけど....
「好きになるって大切なことなんだなあ」としみじみ思ったティーンの頃でした。 


No.2「図書館前のバンジョーおじさん....」

 私がまだ英語学校に通っていた頃の話。図書館前にいつもバンジョーを弾いているアメリカ人のおじさんがいた。私はギターを片手にこのおじさんとよくセッションしていた。まだ英語がよくわからなかった頃なのでおじさんの言っていることはサッパリ。もちろんおじさんも私の下手な片言英語はわからないようだった。お互い言葉が通じなかったが、いったん楽器を弾き出せば、いつのまにかちゃんと音楽になっていた。「音楽は国境を越える」ってテレビの前のミュージシャンがよく言っていたがこの時、「あれって本当だったんだ!」と実感した。そしてギターが弾けることの幸せを感じた瞬間でもあった。


No.1 「英語って本当にわからん.....」

18歳の夏、初めてアメリカはアイダホ州ルイストンに降りた。英語学校での最初の授業、当然ながら先生から一言、「How are you doing !」。緊張からか本当にわからなかったのか私の答えは「My name is..........」。教室内は、先生も含め大爆笑!その後2分間は、当然ながらマシンガンのような英語が飛び交っていた。何を言っているのかサッパリだったが、とりあえず笑われているのは理解できたので、自分も笑ってみたらさらに教室内は、大爆笑!英語はわからなかったが、外国人と初めてコミュニケーションをとった瞬間だった。(笑)


no.0

アメリカでのいろんな体験談を載せていきます。

ドジ体験あり、恐い体験あり、楽しい体験あり!

お楽しみに!


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